2020-07-12 ペテロの涙

戦国時代末期から江戸時代に、キリスト教、当時のキリシタンへの弾圧が厳しくなり、隠れキリシタンと呼ばれる人たちが表面上は普通の人として暮らしながら、密かにキリスト教信仰を保って来ました。普通の人として暮らす、ということは江戸時代に確立した檀家制度の中に身を置き、仏教徒として暮らしながら、秘密の礼拝の場所、祈りのための道具、祈りの言葉などをごくごく限られた者たちの間で守り、伝えて来たということです。

今の日本ではそこまでの弾圧はありませんから、キリスト教信仰を持ってるからといって牢屋に入れられたり、3世代にわたって警察に監視されるなんてこともありません。それでも、多くの人から、友だちや職場で、自分がクリスチャンであることや教会に行っていることを積極的には話さないという声を聞きます。 “2020-07-12 ペテロの涙” の続きを読む

2020-06-28 引かれていく羊のように

2020年 6月 28日 礼拝 聖書:マタイ26:57-68

 皆さんは、身に覚えのないことで責められたり、とんだ誤解によってひどく非難されたような経験があるでしょうか。なければ幸いですが、あったならその辛さ、怒り、悔しさを思い出せるかもしれません。私もいくらかそうした経験があります。

そのようなとき、皆さんはどんな行動をしたでしょうか。場合によっては、会社内の上下関係の中でただ我慢するしかなかったというような悔しい状況であったかも知れません。しかし、可能であれば、反論したり、誤解を解こうとあがいてみたりしたのではないでしょうか。私は多くの場合そのような反応をして来ました。 “2020-06-28 引かれていく羊のように” の続きを読む

2020-06-21 裏切りさえも

2020年 6月 21日 礼拝 聖書:マタイ26:47-56

皆さんは、これまでの歩みの中で、誰かに裏切られたという経験があるでしょうか。いきなり重い内容の質問で始まりましたが、今日のユダの裏切りという重い内容を取り扱うためには、どうしても一度思い起こして置かなければならない事です。

裏切りは私たちに深い傷を残します。なかなかそれは乗り越えることが出来ませんし、何度も痛みがよみがえって来ます。そういう事実を無視したり、なかったかのように自分にウソをついていると、今日のような箇所に含まれている、イエス様からの大切で繊細なメッセージを聞き逃してしまう可能性があります。

今日私たちは、ゲッセマネの祈りを終えて、いよいよ十字架の苦しみへとスピードを上げながら進んで行くイエス様の最初の苦しみ、ユダの裏切りの場面を味わって行きます。 “2020-06-21 裏切りさえも” の続きを読む

2020-06-14 戦いは祈りの中で

2020年 6月 14日 礼拝 聖書:マタイ26:36-46

 さて、3週間ぶりにマタイの福音書に戻って来ました。いよいよ、受難週がクライマックスを迎えます。今日の箇所は「ゲッセマネの祈り」と呼ばれています。イエス様が捕らえられ、裁判に掛けられ、十字架につけられる前夜のことです。エルサレムを見渡す小高いオリーブ山にあった、お気に入りの祈りの場所、ゲッセマネの園と呼ばれる場所で、イエス様は長い間祈っていました。 “2020-06-14 戦いは祈りの中で” の続きを読む

2020-06-07 あなたは高価で尊い

2020年 6月 7日 礼拝 聖書:イザヤ43:1-7

 今年度の主題である「みことばの宝物」に従って、6月に覚えたいみことばは、イザヤ43:4です。この聖句が日本のクリスチャンの間で大人気になったのはいつの頃か正確には分かりませんが、私の記憶の中では、上原令子さんというクリスチャンアーティストの『あなたはわたしの目には』という曲が人気に火をつけたように思います。もう40年も前のことになります。 “2020-06-07 あなたは高価で尊い” の続きを読む

2020-05-31 私たちをつなぐ方

2020年 5月 31日 礼拝 聖書:エペソ4:1-6

 今日はペンテコステです。もとは旧約聖書に定められていた「七週の祭り」と呼ばれていた小麦の収穫を祝って神様を礼拝するお祭りでした。ギリシャ語が共通語として使われていた時代に「ペンテコステ」と呼ばれるようになったのですが、このペンテコステの最中に、弟子たちのうえに聖霊が下り、教会が誕生したので、キリスト教の中ではペンテコステは、収穫祭の意味からすっかり変わり、聖霊がくだり教会が誕生したことを記念する日になったのです。 “2020-05-31 私たちをつなぐ方” の続きを読む

2020-05-24 あなたがたはみな躓くが、

2020年 5月 24日 礼拝 聖書:マタイ26:31-35

 私は、いろいろなことに興味があり、すぐに手を出すのですが、同時に飽きっぽくて、長続きしないところがあります。「今度は続けよう」と決心しても、しばらくたつと、その決意は薄らぎ、まあいいかという気持ちの方が強くなってしまうのです。そういう弱さを自覚しているので、先週開いた最後の晩餐の席で、イエス様が「弟子の一人が裏切る」と予告されたとき、弟子たちが一人一人、イエス様に「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた場面はよくわかる気がします。

自分がその場にいたら、果たして「私は絶対大丈夫」と言い切れる人はどれだけいるでしょうか。虚勢を張ってそう言う人はいるかもしれませんが、心のどこかに「それでもひょっとしたら」という不安が残るのが人間ではないでしょうか。 “2020-05-24 あなたがたはみな躓くが、” の続きを読む

2020-05-17 その日が来るまで

2020年 5月 17日 礼拝 聖書:マタイ26:17-30

 先週、「緊急事態宣言」が解除されましたが、これは主に経済活動を殺さないためのもので、新型コロナウイルスの感染拡大の危険性がなくなったわけではないということであろうと思います。

それでも、どうすれば感染拡大を抑えられるか、治療が効果的になるのかが分かってきていますし、ワクチンの開発も続いていますので、いずれはかかったら怖い面もあるけれど、つきあっていける病気の一つになっていくのかなと思います。

教会の様々な活動も、イベントも、やがて以前のように普通に出来るようになるでしょうし、また新たな可能性をもって出来るようになると思います。気をつけつつも、あまり気を張らず、その日が来るまで待ち望みましょう。 “2020-05-17 その日が来るまで” の続きを読む

2020-05-10 語り継がれる二人

2020年 5月 10日 礼拝 聖書:マタイ26:1-16

 先日の葬儀では、ある意味貴重な体験をしました。新型コロナの影響で、人数が少なかったというだけではありません。火葬で待っている間も、持ち込んだ飲み物以外は飲食禁止になっていましたので、1時間半の間、普通なら何かつまむものがあって会話が止まっても何とか間が持つものですが、ちょっと手持ち無沙汰で、みな自分のペットボトルを持ったまま時折お話をし、その後また沈黙が流れるというような時間がしばらく続きました。

それでもポツポツと**兄の思い出や、十七年前に亡くなった**姉の思い出が語られ、ほんの少しだけ、お二人の人生に触れることができました。終わり頃にはかなり暖かい雰囲気になりました。

こうして、亡くなった人の人生を語ることは、生きている者にとってはとても意味のあることです。親であれ、肉親でなくても人生に影響があったり、関わったりした人との思い出や、彼らが後の時代に託した願い、時には彼らとの間にあった葛藤やいろいろと割り切れない思いなどが、やはり今の自分を作っています。 “2020-05-10 語り継がれる二人” の続きを読む

2020-04-19 良い忠実なしもべ

2020年 4月 19日 礼拝 聖書:マタイ25:14-30

 まだまだ収まる気配のない新型コロナの影響で、世界のクリスチャンたちの一部では、「もう世界の終わりが来るのではないか」と心をざわつかせている人たちがいます。

今日は3週間ぶりにマタイの福音書に戻りますが、確かに、最近、マタイ24章以降でイエス様が教えておられる「世が終わる時のしるし」が次々と起こっているように思えたりもします。 “2020-04-19 良い忠実なしもべ” の続きを読む