2020-08-02 クリスチャンのしるし

2020年 8月 2日 礼拝 聖書:ヨハネ13:34-35

皆さんが、クリスチャンらしさを発揮しようと思ったら、どういうことをするでしょうか。教会がこの世界にあって、教会らしくあるとはどういうことでしょうか。

イエス様を知らない人と私たちが違う生き方をするとしたら、その違いはどういうかたちで表れるべきでしょうか。子どもたちに、クリスチャンとしての生き方を伝えようとするなら、何を大切にするよう教えるでしょうか。

8月の「今月のみことば」として挙げさせていただいたのは、「新しい律法」とか「新しい戒め」と呼ばれているヨハネ13:34です。 “2020-08-02 クリスチャンのしるし” の続きを読む

2020-07-26 あなたは誰を選ぶのか

2020年 7月 26日 礼拝 聖書:マタイ27:15-26

 今日は礼拝の中で使徒信条をお読みしまたが、その中に「ポンテオ・ピラトのもとで十字架につけられ」という一文があったことを覚えておられるでしょう。

その出来事が今日の箇所です。使徒信条にピラトの名前が入れられた経緯は分かっていません。しかし、その一文があることではっきり強調されていることが分かります。 “2020-07-26 あなたは誰を選ぶのか” の続きを読む

2020-07-19 黙々とただひたすらに

2020年 7月 19日 礼拝 聖書:マタイ27:1-14

 私たちにとって、どんな時でも神がともにおられるという信仰は、心と人生の大きな支えです。しかしそういう私たちにも、足元が揺らぎ、信仰がぐらつくような事があります。

マタイの福音書が書かれた時代は、そのような危機的な状況でした。教会には多くのユダヤ人がいましたが、彼らにとって、衝撃的な出来事が起こりました。ローマ軍によってエルサレムが壊滅させられ、神殿が完全に破壊されてしまったのです。ユダヤ人にとっては精神的な支柱が失われたとも言えます。旧約聖書で預言されてきた、約束の民の回復がどうなってしまうか心配な状況です。そういう人たちに向けて書かれたのがマタイの福音書でした。 “2020-07-19 黙々とただひたすらに” の続きを読む

2020-07-12 ペテロの涙

戦国時代末期から江戸時代に、キリスト教、当時のキリシタンへの弾圧が厳しくなり、隠れキリシタンと呼ばれる人たちが表面上は普通の人として暮らしながら、密かにキリスト教信仰を保って来ました。普通の人として暮らす、ということは江戸時代に確立した檀家制度の中に身を置き、仏教徒として暮らしながら、秘密の礼拝の場所、祈りのための道具、祈りの言葉などをごくごく限られた者たちの間で守り、伝えて来たということです。

今の日本ではそこまでの弾圧はありませんから、キリスト教信仰を持ってるからといって牢屋に入れられたり、3世代にわたって警察に監視されるなんてこともありません。それでも、多くの人から、友だちや職場で、自分がクリスチャンであることや教会に行っていることを積極的には話さないという声を聞きます。 “2020-07-12 ペテロの涙” の続きを読む

2020-07-05 イエスにある神の愛

2020年 7月 5日 礼拝 聖書:ローマ8:31-39

 今年はコロナの影響で高校野球の甲子園大会がなくなりましたが、県内では地方大会が始まったそうです。他の部活も、それぞれの競技ごとに大会や記録会などが行われるようで、スポーツに限らず、何かに打ち込んできた子どもたちにとっては大きな励みになるのではないかと、ちょっと嬉しく思っています。

さて、私も経験があり、言われたことがありますが、いざ試合に臨むとき、勝負が始まる前から「気持ちで負けている」ことがあります。気持ちで負けると、のびのび出来ず、実力を発揮できず、勝てる試合も勝てないということになります。もっとも、私の中学、高校時代は、相手に勝てるほどの実力もそんなになかったとは思います。

ところで、気持ちで負けるというのは、私たちの信仰による歩みにも当てはまります。 “2020-07-05 イエスにある神の愛” の続きを読む

2020-06-28 引かれていく羊のように

2020年 6月 28日 礼拝 聖書:マタイ26:57-68

 皆さんは、身に覚えのないことで責められたり、とんだ誤解によってひどく非難されたような経験があるでしょうか。なければ幸いですが、あったならその辛さ、怒り、悔しさを思い出せるかもしれません。私もいくらかそうした経験があります。

そのようなとき、皆さんはどんな行動をしたでしょうか。場合によっては、会社内の上下関係の中でただ我慢するしかなかったというような悔しい状況であったかも知れません。しかし、可能であれば、反論したり、誤解を解こうとあがいてみたりしたのではないでしょうか。私は多くの場合そのような反応をして来ました。 “2020-06-28 引かれていく羊のように” の続きを読む

2020-06-21 裏切りさえも

2020年 6月 21日 礼拝 聖書:マタイ26:47-56

皆さんは、これまでの歩みの中で、誰かに裏切られたという経験があるでしょうか。いきなり重い内容の質問で始まりましたが、今日のユダの裏切りという重い内容を取り扱うためには、どうしても一度思い起こして置かなければならない事です。

裏切りは私たちに深い傷を残します。なかなかそれは乗り越えることが出来ませんし、何度も痛みがよみがえって来ます。そういう事実を無視したり、なかったかのように自分にウソをついていると、今日のような箇所に含まれている、イエス様からの大切で繊細なメッセージを聞き逃してしまう可能性があります。

今日私たちは、ゲッセマネの祈りを終えて、いよいよ十字架の苦しみへとスピードを上げながら進んで行くイエス様の最初の苦しみ、ユダの裏切りの場面を味わって行きます。 “2020-06-21 裏切りさえも” の続きを読む

2020-06-14 戦いは祈りの中で

2020年 6月 14日 礼拝 聖書:マタイ26:36-46

 さて、3週間ぶりにマタイの福音書に戻って来ました。いよいよ、受難週がクライマックスを迎えます。今日の箇所は「ゲッセマネの祈り」と呼ばれています。イエス様が捕らえられ、裁判に掛けられ、十字架につけられる前夜のことです。エルサレムを見渡す小高いオリーブ山にあった、お気に入りの祈りの場所、ゲッセマネの園と呼ばれる場所で、イエス様は長い間祈っていました。 “2020-06-14 戦いは祈りの中で” の続きを読む

2020-06-07 あなたは高価で尊い

2020年 6月 7日 礼拝 聖書:イザヤ43:1-7

 今年度の主題である「みことばの宝物」に従って、6月に覚えたいみことばは、イザヤ43:4です。この聖句が日本のクリスチャンの間で大人気になったのはいつの頃か正確には分かりませんが、私の記憶の中では、上原令子さんというクリスチャンアーティストの『あなたはわたしの目には』という曲が人気に火をつけたように思います。もう40年も前のことになります。 “2020-06-07 あなたは高価で尊い” の続きを読む

2020-05-31 私たちをつなぐ方

2020年 5月 31日 礼拝 聖書:エペソ4:1-6

 今日はペンテコステです。もとは旧約聖書に定められていた「七週の祭り」と呼ばれていた小麦の収穫を祝って神様を礼拝するお祭りでした。ギリシャ語が共通語として使われていた時代に「ペンテコステ」と呼ばれるようになったのですが、このペンテコステの最中に、弟子たちのうえに聖霊が下り、教会が誕生したので、キリスト教の中ではペンテコステは、収穫祭の意味からすっかり変わり、聖霊がくだり教会が誕生したことを記念する日になったのです。 “2020-05-31 私たちをつなぐ方” の続きを読む