2020-11-22 きよい神の前で

2021年 11月 22日 礼拝 聖書:レビ記1:1-2

旧約聖書から聖書通読をはじめた人の多くが足踏みし、脱落してしまう箇所の一つがこのレビ記です。あまり人気があるとは言えず、「私、レビ記が一番好きです」という人は滅多にいません。

しかも、キリスト教の実際の生活では、レビ記に記されている様々な決まりごと、礼拝の中での献げものや食べ物の規定、汚れに関する規定や、それらを聖めるための手順などは不要とされています。それでもレビ記が聖書の一部であることに変わりはありません。極端な考えを持つ異端やカルト的な人たちの主張と別にすれば、2000年のキリスト教の歴史で、レビ記を聖書から外すべきだと言われたことはありません。

レビ記を昔々の古い規則集として読むと何の意味があるのか分からなくなりますが、レビ記を通して神が語ろうとしていることを理解すると、私たちに与えられている恵みがどれほど素晴らしいものかが分かって来ます。 “2020-11-22 きよい神の前で” の続きを読む

2020-11-15 あなたがたはわたしの宝

2020年 11月 15日 礼拝 聖書:出エジプト記9:1-6

 イエス様を信じてクリスチャンになり、その信仰の証しとしてバプテスマを受けると、皆におめでとう!と拍手で迎えられます。ところがその後、けっこういろいろなことをクリスチャンとして求められることに驚いたり、引いてしまう方もおられます。教会に来なさい、献金しなさい、何か奉仕をしなさい、友だちや家族に証しをしなさい、聖書を読みなさい、祈りなさい。もちろん、それらは強制されるものではないのですし、それをしなければクリスチャンの資格を失うとか、救いが取り上げられるということではありません。でもなぜ、そのようなことが求められるかというと、神様が私たちを救うのは私たち自身を救うためだけでなく、もっと多くの人に神様の祝福をもたらすためです。 “2020-11-15 あなたがたはわたしの宝” の続きを読む

2020-11-08 あなたを忘れない

2020年 11月 8日 礼拝 聖書:出エジプト2:11-25

 クリスチャンであるなら、誰でも救いの物語があります。まるでドラマの主人公であるかのような波瀾万丈の中でキリストと出会った人もいれば、クリスチャンホームに生まれ気付いた時には教会の交わりの中にあり、いつ信じたかよく分からないままバプテスマを受けたという人もいます。

物語として面白いかどうかは別として、それが神様があなたを救うために備えてくださった道であり、それぞれが尊いものです。

神の民として歩み始めたイスラエルの民にとってもそれは同じでした。神はどのようにして自分たちを救い出し、神の民として歩み始めさせてくださったのか。その、イスラエルの民にとっての救いの物語が、この出エジプト記です。 “2020-11-08 あなたを忘れない” の続きを読む

2020-11-01 試みの時に

2020年 11月 1日 礼拝 聖書:コリント第一10:11-13

 「今月のみことば」としてこの月に覚えて行きたい聖句は、コリント第一10:13です。好きな聖句ベストテンに入るんじゃないかと思うほど人気もありますが、信仰生活の中では本当に助けと励ましになるみことであることに間違いはありません。

聖書は時代遅れな宗教的戒律を押しつけるものではなく、学者でもなければ理解できないような難解な教えの集まりでもありません。確かに、書かれた時代、文化の違いのために分かりにくいところはありますが、書かれていることは、実際の生活に深く関わるものです。神様を信頼して生きて行く現実に即した、実践的な教えと励まし、慰めとして私たちに与えられています。 “2020-11-01 試みの時に” の続きを読む

2020-10-25 天路歴程

2020年 10月 25日 礼拝 聖書:創世記12:1-4

 私たちは人生を旅にたとえることがあります。特に、信仰の歩みは天の御国を目指す旅、というイメージがあります。

昔(今ももちろん手に入りますが)、『天路歴程』という本がよく読まれました。17世紀のイギリス人ジョン・バニヤンが書いた物語で、クリスチャンという名前の男が、「滅亡の都」という町から旅立ち、様々な困難を経て「天の都」にたどり着くまでの旅を描いています。

他にも、信仰の歩みを旅になぞらえた物語や譬えはいろいろありますが、そうしたイメージの出所は創世記12章から終わりまで続く、アブラハムとその家族の物語です。 “2020-10-25 天路歴程” の続きを読む

2020-10-18 ざんねんないきもの

2020年 10月 18日 礼拝 聖書:創世記3:1-13

 少し前に「ざんねんないきもの事典」という子ども向けの本がヒットしました。様々な生物の面白い生態をユーモラスに描いたものです。

人間の目から見たら、面白く、時には滑稽に見える行動や生態も何かしら意味があるはずで、神様がそのような特徴を与えてくださったり、置かれた環境の中で身につけて来たものだったりします。あるいは以前は意味があったのに、新しい環境の中で意味をなさなくなり、面白く見えるということなのかもしれません。

けれどもそれが面白く見えるのはあくまで人間にとって、ということで当の動物たち自身はきわめて真面目に、そして種の生存という使命のために必死で行っているに違いないのです。

本当の意味でまことに残念な生物は、この地上でたったの一種類だけです。それは私たち人間です。 “2020-10-18 ざんねんないきもの” の続きを読む

2020-10-11 たいせつなきみ

2020年 10月 11日 礼拝 聖書:創世記1:26-31

みなさんのお宅には読みかけの本がどれほどあるでしょうか。最近はそもそも本を読まない、買わないという人も多いですが、せっかく買ったのに本棚の飾りになっていたり、図書館から借りてきたのに一頁も開かずに返却した、という話しはよくあります。

私も、自分の楽しみのために買った小説や漫画は割とすぐ読むのですが、勉強のために買った本はさっと目をとおしてちゃんと読まずに置いておくことがあります。キリスト教関係の本は出たときに買っておかないとすぐに絶版になり買えなくなることがあるから、と苦しい言い訳を自分にしたりしてますが、もったいないことですね。 “2020-10-11 たいせつなきみ” の続きを読む

2020-10-04 なぜ聖書を読むのか

2020年 10月 4日 礼拝 聖書:テモテ第二3:10-17

 時が経つのは早いもので、およそ3年に渡って、マタイの福音書をご一緒に学び続けて来て、先週最後の箇所を終えることが出来ました。イエス様の公の働きも3年半と言われますので、だいたい同じ時間を旅して来たような心持ちですし、イエス様と弟子たちの旅がどれほど濃密なものであったかを覚えることができました。

来週からは創世記から黙示録までを一気に取り上げていこうと考えています。毎週1書ずつと思ったのですが、さすがに難しい面もあり、時には数回に分けながら、読み進めて行きたいと思います。

今日は、それに先立ち、なぜ私たちはそうやって聖書を読むべきなのかということをご一緒に考えて行きたいと思います。今月の御言葉として与えられた第二テモテ3:16は、聖書が神のことばであるという私たちの信仰を支える御言葉です。 “2020-10-04 なぜ聖書を読むのか” の続きを読む

2020-09-27 主イエスとともに

2020年 9月 27日 礼拝 聖書:マタイ28:16-20

さきほど歌った「イエスはわたしの友」という讃美歌の歌詞は「いつくしみ深き」という古い讃美歌の原曲の歌詞を訳しなおして、新しいメロディをつけたものになっています。私たちにとって、心許せる友人や、自分を任せられる家族は大切ですが、ときとしてそういう家族や友人でさえも、自分の胸の内を明かせなかったり、理解されなかったり、また対立してしまうことがあります。

けれども、イエス様はどんな場合でも私たちの友であり続けるというのがイエス様ご自身の約束です。そんなことを歌にしたのが「いつくしみ深き」であり、先ほどの賛美歌です。 “2020-09-27 主イエスとともに” の続きを読む

2020-09-20 恐れから喜びに

2020年 9月 20日 礼拝 聖書:マタイ28:1-15

 2016年の暮れ頃から読み始めたマタイの福音書も、いよいよ残すところ、今日を含め2回となりました。今日の箇所は、普段なら春のイースターの頃に取り上げられる箇所です。

よく読んでみれば分かることですが、マタイの福音書には、イエス様の復活の様子そのものは何も描いていません。マタイだけでなく、マルコ、ルカ、ヨハネの三つの福音書も同様です。 “2020-09-20 恐れから喜びに” の続きを読む