2020-04-05_ひとり子を与えるほどに

2020年 4月 5日 礼拝 聖書:ヨハネ3:1-5,16

 イエス様が十字架にかかって死なれたという事実は、私たちが神に愛されていているということを意味しています。2千年前の地球の裏側で起こった出来事ですが、現代の私たちにとっても、その神の愛が変わることなく、私たちに向けられていることを、今日、あらためて確信したいと思います。特に、今世界を覆っている新型コロナの不安と恐怖の中で、多くの人が無力感を覚えたり、希望を見いだせずにいたり、逆に無関心を装っている中で、それでも私たちは愛されていることを確かめましょう。そして、この「私たちが」愛されていることの意味合いを味わいましょう。 “2020-04-05_ひとり子を与えるほどに” の続きを読む

2020-03-29 再び来られる主

2020年 3月 29日 礼拝 聖書:マタイ24:29-35

 子供が産まれて少し経ってから、当時一緒に働いていた宣教師家族が、私たち夫婦だけの時間を作れるようにと、まだ小さい娘を預かってくれると言ってくれました。

もちろん、娘は不安がり、泣いたりもするのですが、そのときその宣教師夫妻は私たちたちに大事なことを教えてくれました。「お父さん、お母さんがどこかに出かけても必ず帰って来るということを教えることになる」ということでした。 “2020-03-29 再び来られる主” の続きを読む

2020-03-15 人の愛が冷えるとき

2020年 3月 15日 礼拝 聖書:マタイ24:1-14

 私たちの信仰の土台である福音には、主イエス様が私たちの罪のために死なれ、よみがえられ、天に上げられたということで終わらず、この世界をさばくため、そして私たちを新しい御国へと招くために再び帰って来られるという内容が含まれています。

その終わりの時とは一体どういうものなのか、聖書ではいろいろな描き方がされていて、興味を引いてきました。終わりについての教えは「終末論」というふうに呼ばれていますが、個人的には、礼拝説教で語るのが難しいと感じていました。この先どんな破滅が待っているかなんてことが、いったいどんな励ましになるのかという思いもありました。 “2020-03-15 人の愛が冷えるとき” の続きを読む

2020-03-08 隣人を愛する者に

2020年 3月 8日 礼拝 聖書:ローマ12:9-21

 本来であれば、今日の午後、第9回3.11集会が開かれる予定でしたが、ここのところの新型コロナウイルスの拡がりを受けて、残念ながら中止ということになりました。その決定をした後、続々と震災関連の記念礼拝や追悼集会、記念コンサートなどが中止となり、今年はなんだか「それどころでない」といった雰囲気になってしまいました。 “2020-03-08 隣人を愛する者に” の続きを読む

2020-03-01 神の民、神の家族として

2020年 3月 1日 礼拝 聖書:ネヘミヤ8:1-12

 2019年度もいよいよ終わりますが、この年度の主題を「この良い仕事に」としたことを覚えておられるでしょうか。

長い捕囚の時代から解放され、約束の地に帰還した人々は神殿を再建したものの、破壊された城壁はそのままになり、安全が確保されないエルサレムの町は荒れたままになっていました。心を痛めたネヘミヤがリーダーとなり、城壁再建に向かって動き始めたとき、人々は「さあ、再建に取りかかろう」と励まし合って立ちあがり、ネヘミヤは「この良い仕事に着手した」と記しています。 “2020-03-01 神の民、神の家族として” の続きを読む

2020-02-23 仕える者になりなさい

2020年 2月 23日 礼拝 聖書:マタイ23:1-12

私たち人間は、一度得た特権というのはなかなか手放せないものです。

去年、あたらしいスマートフォンに買い換えた時、お店のスタッフから「このポイントサービスを使うとこれだけの特典が受けられます」と言われ、そうそうかと使い始めました。コンビニやいろいろなお店からもらえるプレゼントや割引クーポンのような慎ましいものではありますが、ちょこちょこと使っていました。

ところが、最近、そういったサービスがかなり少なくなって来て、そのうえ、何かシステムの変更がありました、というアナウンスがあり、前より便利になったのかも良く分からない仕組みになり、ぶーぶー文句を言っています。
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2020-02-16 最も大切な戒め

2020年 2月 16日 礼拝 聖書:マタイ22:34-46

 聖書には様々な教えがあり、その中には「命令」として書かれているものもかなりあります。旧約時代のイスラエルに対して与えられた命令の中には、イエス様の後では無効になったものもありますが、それでも、そうした命令には、神様が人に求めておられることについて学べる大切な原則が含まれています。 “2020-02-16 最も大切な戒め” の続きを読む

2020-02-02 私たちの祈り

2020年 2月 2日 礼拝 聖書:歴代誌 第二 32:20-26

ある時、イエス様の弟子たちがイエス様に尋ねました。「人が自分に対して罪を犯し、赦しを求めた場合、何度まで赦すべきでしょうか」。

それに対するイエス様のお答えは大変有名です。「7度までではなく、7を70倍するまで赦しなさい」これは、490回ということではなく、悔い改めなら何度でも赦し続けなさい、というお答えでした。

人を赦すことは、私たちの罪が赦されるための条件ではありませんが、赦されたという大きな経験、与えられるはずのない恵みを受けた者として、当然他の人にも向けるべきものです。そうでないと、自分の罪の大きさも、受けた赦しの大きさもほんとには分かっているとは言えません。

さて、今日の箇所は旧約聖書の中の一つの記事です。 “2020-02-02 私たちの祈り” の続きを読む

2020-01-26 すりかえ

2020年 1月 26日 礼拝 聖書:マタイ22:15-22

私たちは、聖書が神のことばであり、何を信じるか、またどういう生き方をすべきかの源が、この聖書にあると信じています。

テモテ第二には「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です」とあり、何をするにも、まず聖書になんと書いてあるか、どういう原則に立つべきか、というふうに考えるよう教えられて来ましたし、そうして来ました。

しかし、そのことを少し誤解してというか、都合よく利用している場面に出くわすことがあります。 “2020-01-26 すりかえ” の続きを読む